せまないボキャ貧日記

適応障害をきっかけに会社を退職。凡庸な社会人5年目の日記。凡庸な人でも輝ける

あなたはいじりといじめの境界線分かってる?

こんちゃーす!

今日は長くなりそうなので、挨拶はそこそこに始めたいと思います。

 

今日のテーマは「いじられキャラ」についてです。

これは、コミュニティで、「いじられキャラ」になりがちな私が考える「いじり」・「いじられ」のあるべき関係性について述べていきたいと思います。

 

まず、「いじられキャラ」とはどういう存在であるか。

私は、

 

いじられキャラ」は、「いじりキャラ」と共に対等に価値を生み出す存在。

 

であると考えています。

 

「いじり」・「いじられ」の関係の中で必要なことは、3つあると思っていて、

・お互いの関係は対等である

・相手に対してのリスペクトを互いに持っている

・共に価値を生み出すこと

 

これのどれかが欠けると、それは「いじり」ではなく、「いじめ」になりうるとも思ってます。

 

私は、

中学生頃からいじられキャラやってたけど、

正直「いじり」と「いじめ」の線引きがわかってない人が一定数居たように感じてます。

 

1番良くない「いじり」は、

・「いじられキャラ」の価値を貶めるだけのただのディスを行う。

・相手のことを心から見下してるからできるいじり。

ですね。これじゃ何も生み出さないし、いじられキャラの価値を落とすだけの低俗な「いじめ」だとさえ思います。

 

私は、1人で何か価値(例えば面白さであったり)とかを生み出すのは難しいので、いじりキャラのおかげでコミュニティに居場所を作れたとも思ってますし、いじりキャラに対しては本当にリスペクトを持って接しているつもりです。

基本的にいつもいじってくれてる私の好きな人達の大体は愛のある「いじり」をしてくれてます。

 

でも、自分が「いじり」を受けてて、

あっ、こいつは心からその人を見下してるからこういう発言が出来るんだな、とか、

自分が面白い感を出したいから他人を貶めるんだな、

って感じるいじりがたま〜にあります。

それは、私の中では「いじめ」やから、そういう「いじり」をしてたなって思う人は、少しでも、相手へのリスペクト、愛を持った「いじり」をいじられキャラにしてあげて欲しいです。

 

繰り返しにはなりますが、私はいじりキャラのことを尊敬しています。

あなた達がいるからこそ、一緒に価値を生み出すことが出来ているのですから。

 

だから、「いじり」キャラの人たちも、「いじられ」キャラの人達に対して愛のある「いじり」をしてください。

そして、一緒に価値を生み出していきましょう。

(14分22秒)