せまないボキャ貧日記

適応障害をきっかけに会社を退職。凡庸な社会人5年目の日記。凡庸な人でも輝ける

バチェラージャパン全部見てしまったのでまとめて感想〜バチェラージャパンはやらせなのか??〜

こんばんはぁ……
ああああ!!!全部見終わってしまった…
バチェラージャパン。
週末で全部見てしまいましたね。。。

漫画でも、アニメでも、実況動画でも、何でものめり込んだものを見終わった後の脱力感とか喪失感とかすごいですよね。
今完全に久保ロスやわ。


はい、今日はバチェラー見終わった後に、番組検索してみたら、「バチェラー やらせ」ってワードがすんごい出てきて、気に食わなかったので、それに対する私の意見を述べたいなと思った次第です。

まず結論から、
バチェラーはやらせではないと私は考えています。


この結論を述べるためにまずは、「やらせ」と「演出」の違いについて述べたいと思います。



やらせ…虚偽を事実と誤認させ、視聴者を騙すこと。

演出…番組を盛り上げるために、事実を効果的に伝達する工夫。


簡単に言えば、こんな感じだと、恩師、「渡辺武達(わたなべ たけさと)」さんは仰られていました。

メディア用語基本事典

メディア用語基本事典

※ソース






そして、バチェラーが見終わってから調べて見てわかったことが1つありまして、それは、


出演者はほぼ全員芸能人で一般人は(ほぼ?)いない


ということ。

まぁ、よくよく考えてみればそうよね。
あんなに綺麗で、カメラの前で、恥ずかしげ無く自分を出せる一般人が25人も簡単に集まるわけないねんよ笑


全員が撮影という特殊な状況に臆さず、番組を盛り上げるために自分を表現、つまり、「演技をしていた。」というのは、出演者のTwitterとか、他の出てる番組とか見たら、なんとなく感じたので、完全なるノンフィクションではないということは認めます。
やし、あまり名が売れてない人達が、名前を売るためには絶好の機会やから、バチェラーに選ばれなくても、出演するだけで儲けものって感じもあって売れるためのきっかけ作りであったというのも1つの出演のきっかけではあるとは思います。







じゃあバチェラー含め出演者、全員の気持ちは完全なる嘘っパチのものなのかと言われると?

NO、なのではないかなと。ここに演出が見られると思います。





出演者の方々は、ドラマキャラクターではなく、「自分」を演じている。自分はどうしたいのかを考えて「自分」を表現している。


その気持ちベースにして、番組を盛り上げるための行動をしてみたり、視聴者が楽しめる流れを作り出したりしてるのではないかな。と考えます。
そういうあくまで自分の気持ちベースでの行動であるので、嘘っぱちではなく、フィクションではない、「恋愛エンターテインメント番組」になったのかなと思います。


だから、バチェラージャパンは、「やらせではない。」と私は考えています。






まぁ、やらせだろうが、違うかろうが、ここまで感情移入して何度も泣いてしまった番組は久々だったので、見ている時間はものすごく充実した日々を過ごせましたし、
また、自分も人を好きになって恋愛したいな〜と思わせてくれる素晴らしい番組でした。





さっそくシーズン2にも手を出していますが、前回バチェラーの久保さんが好きすぎたので、久保さんがいないバチェラーにはまだ入り込めずにいますが、きっとまたのめり込むことになるのでしょう。

それでは、皆さん
いい恋しましょうね!!

(14分6秒)