せまないボキャ貧日記

適応障害をきっかけに会社を退職。凡庸な社会人5年目の日記。凡庸な人でも輝ける

愛想笑いの線引き

ハイドウモコンバンハセマボキャニッキノセマツデスー!!

本日は、久々に徒然日記で、思いついた感情を垂れ流していこうかと思っております。


今日のテーマは、「愛想笑い」について。

皆さんは、普段どれくらい「愛想笑い」をしていますか??


私はよく笑うほうだと思うのですが、
よく「それって愛想笑い??」と思われたり、実際に「ほんまは笑ってないやろ?」と言われたこともあります。



私は、意識して、「愛想笑い」をすることもありますが、基本は心の底から本当に面白い、楽しい、可笑しい、と思って笑っています。



しかし、受け取る側はそうは受け取らない。
何故だろうかと考えた時に、笑いの基準に一貫性が無いからではないかと考えました。

というのも、「笑う」という行為は少なからずエネルギーを使う行為です。そうなると、他の行為でエネルギーを使ってしまって、元気がない時には、エネルギーが足りず「笑う」という行為が出来ないからです。

そうなると、さっきは同じようなことで笑っていたのに今、彼は笑っていない。→さっきの笑いは愛想笑いだったんだ。

となり、相手からの信頼を獲得することができません。

先程も申し上げましたように、私は心の底では楽しいと思ってるから笑うのですが、その楽しいレベルが高くないと、疲れ度によっては、「笑う」という行為を行うことが出来なくなってしまうのです。
思っていたとしても、結局は相手の目に映った私の姿が私の印象となりますので、結局思っていることは伝わらず、「本当の笑い」では無く、「愛想笑い」と受け取られてしまうでしょう。

だから、私は、「愛想笑い」と思っていなくても、相手が「愛想笑い」と受け取れば、それは「愛想笑い」なのでしょう。
だからその辺りの線引きを自分の中で理解することが、重要であるように感じました。


と、ここまで書いて何が言いたかったかと言うと、
他人の「愛想笑い」と「本気の笑い」の見分けるのは難しいなと感じたのですという話なんです。

他人の「愛想笑い」かどうかの判断は私が決める。ではあの人の笑顔はどっちなの??となった時に、自分に対する笑顔は全て「愛想笑い」なのではないかと取ってしまう時があります。
そして、「愛想笑い」しか見せてくれない(ように思える)人には思い切った行動が出来ないんですよね。

だから「愛想笑い」と捉えられるような笑顔を見せるくらいならそこでわざわざ「笑顔」という行為に、エネルギーを割く必要が無いのだろうなと感じました。

その分、本気で笑いたい時は、もっと本気で笑うことで、相手の信頼を、獲得できるのかなと感じました。

ようは、笑顔に割くあネルギー配分を見直していきたいなと感じた次第です。

今日はそういう駄文を書きたい気分でした。
それじゃね。